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福岡高等裁判所 昭和37年(ネ)211号 判決 1963年7月18日

控訴人 池田兼正

右訴訟代理人弁護士 鶴丸富男

被控訴人 福本徳一郎

右訴訟代理人弁護士 清水弥寿雄

主文

原判決を、次のとおり変更する。控訴人は被控訴人に対し、金二万二、一〇七円を支払わねばならない。

被控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一・二審を通じこれを四分し、その一を控訴人の負担とし、その余を被控訴人の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

島原市湖端六、三〇二番地の一、宅地二六五坪四合、同番地の二、宅地三二坪の宅地二筆、及び同番地一、所在家屋番号上ノ原三五番木造瓦葺平家建住家一棟、建坪一三坪五合一勾の建物が、元控訴人の亡父池田兼蔵(昭和二〇年七月三〇日死亡)の所有に属したこと、右兼蔵の死亡によつて同人の長男兼春(昭和二〇年五月一三日戦死)の長男順治(昭和一二年四月五日生)が代襲相続によつてこれが家督相続をし、前掲不動産についてもこれが相続登記が経由された後昭和二八年三月一九日被控訴人に対し売買により所有権移転登記が経由され、被控訴人が現に右登記簿上の所有名義人であること、一方控訴人は、右兼蔵の二男であつて、前掲宅地六、三〇二番の一地上に家屋番号上ノ原三四番一、木造瓦葺二階建住家一棟、建坪九六坪三合九勺外二階九一坪八合九勺、付属一、木造亜鉛葺平家建物置一棟、建坪六坪四合九勺の湖水軒と称せられていた物置を所有し、該建物に居住することにより右建物の敷地部分を現に占有中であること、以上の事実は本件当事者間に争いのない事実である。

一、前掲宅地二筆、及び六、三〇二番地の一地上所在家屋番号上ノ原三五番木造瓦葺平家建住家一棟、建坪一三坪五合一勺の各所有権について。

被控訴人は、前掲宅地二筆及び建物一棟に関し、控訴人等の父兼蔵の家督相続人池田順治から昭和二八年三月一九日代金二〇万円で買受け、即日これが所有権移転登記を経由した所有者であると主張するのに対し、控訴人はこれを否認し、右宅地建物は、控訴人が昭和一〇年三月五日頃妻千代子と婚姻するに際し、亡兼蔵から贈与を受けていたのであつて、亡父兼蔵(昭和二〇年七月三〇日死亡)の相続財産に包含されていなかつたのであるから、依然として控訴人の所有に属すると主張する一方、仮りに右贈与の事実が認められないとしても、同日以降善意平穏且つ公然にその占有を継続してきたのであるから、昭和三〇年三月四日の取得時効期間経過とともに時効によつてこれが所有権を取得したものである旨、及び以上の事実が認められないとしても、被控訴人と前示順治間の売買契約は通謀虚偽の契約で無効である旨、種々抗争する。

そこで先ず控訴人が、その父兼蔵からその存命中贈与を受けていたものであるか否かの点について審案してみるのに、原審竝びに当審証人池田兼友≪中略≫の各証言、及び当審における控訴本人尋問の結果中これにそう各供述部分があるけれども、これらは後記証拠と対照してたやすく措信できないところで、他にこれを積極的に肯認するに足る資料は発見されない。却つて前掲各証拠の一部と、原審竝びに当審証人池田サダコの各証言の一部に、成立に争いのない甲第一乃至第三号証≪中略≫を合せ考えれば、次のような事実を認めることができる。

すなわち、控訴人は前掲池田兼蔵の二男(明治四五年四月一五日生)であつたが、幼少の頃小児麻痺を患い将来の自活が危ぶまれたので、控訴人の父兼蔵は控訴人のため好配偶者を求めた上将来料理屋営業によつてその生計を立てしめるのが適当であるとの考えから、本件宅地上にいわゆる湖水軒なる前掲控訴人所有建物を建設して右計画を実施し、控訴人のためその妻千代子を迎えるにあたつても、仲人である池田シヅ夫妻に控訴人は不具者であるが、前示料理屋営業によつて自治の途は十分であること、猶将来控訴人において良い相続人に恵まれれば、右湖水軒の不動産を分与すると告げて、昭和一〇年三月五日頃控訴人とその妻千代子(本名チヨコ)との婚姻が実現されたものであるところ、その後戦争に伴う情況変化のため、軍需工場の寄宿舎に賃貸するなどしているうち、終戦前の昭和二〇年七月三〇日兼蔵は死亡するに至つたのであつて、湖水軒に関する宅地建物は依然として控訴人の父兼蔵の死亡まで同人の所有に属し、控訴人に対する贈与は遂にこれが実現をみるに至らなかつたこと、その後控訴人の兄長男兼春も父兼蔵に先んじて昭和二〇年五月一三日戦死していたことが判明したため、右兼春の長男順治が代襲して兼蔵の家督相続をし、昭和二五年五月二三日相続による所有権移転登記を経由(但し前掲建物一三宅五合一勺については、昭和二七年九月二七日)したのであるが、控訴人の弟兼友、前掲池田シヅの子息で控訴人と従兄弟である池田信興等から、前掲湖水軒の宅地建物に関しては、父兼蔵生前の予ての意思に従い、控訴人にこれを分与するよう、右順治の法定代理人親権者池田サダコに懇請した結果、昭和二六年一〇月頃漸く右親権者池田サダコもこれを諒承し、前掲湖水軒の建物のみを控訴人に分与することとして、前顕甲第六号証覚書が作成され、次で昭和二七年三月三日に同年二月九日附売買名義による所有権移転登記手続が履行されたものであること、以上の事実を認めることができる。(前掲証人池田サダコは、兼蔵の生前湖水軒の宅地建物に関し、これを控訴人に分与する話のあつた事実はない旨極力否定するけれども、該部分は、前顕証人等の証言と対比して措信できない。)

そうだとすれば、前掲宅地二筆及び前示一三坪五合一勺の建物は、本件九〇余坪の湖水軒の建物と共に、控訴人の父池田兼蔵がその死亡に至るまでこれを所有し、控訴人は右父の家族の一員として、これが事実上の占有管理にあたつていたにすぎず、独自の占有をなしていたものとは到底認められないところであるから、被控訴人の前所有者順治の相続財産に包含されないとする控訴人の主張はもとより、昭和三〇年三月四日の時効期間完成とともに取得時効によつて所有権を取得したとする主張も亦、その前提自体既に失当であつて、到底採用の限りでないことが明らかである。

次に控訴人の通謀虚偽契約であるとする抗弁について案ずるに控訴人の全立証によつてもこれを認めるに足らないところで、却つて原審証人福本栄、原審竝びに当審証人池田サダコの各証言、原審における被控訴本人尋問の結果と原審鑑定人山中藤市の鑑定の結果、成立に争いのない前顕甲第一乃至第三号証によれば、被控訴人において前所有者池田順治から昭和二八年三月一九日これを買受け、その所有権を取得するに至つたこと、を認めるに十分である。従つて控訴人のこの点に関する抗弁は、到底採用できない。

以上のとおり本件宅地及び建坪一三坪五合一勺の建物の所有権は、被控訴人に属することが明らかである。

二、被控訴人の家屋収去土地明渡、竝びに損害金の各請求について。

被控訴人は、前掲宅地二筆が被控訴人の所有であることを前提として、控訴人の前掲いわゆる湖水軒建物(付属建物物置を含む)の所有による、その敷地の占有が、被控訴人に対抗し得る権原に基づかないものであるとし、該建物の収去竝びに土地明渡を求めるのに対し、控訴人は被控訴人の前所有者池田順治との間に地上権設定契約が黙示的に締結されたものであると抗争するので、この点について案ずるのに、被控訴人の前所有者池田順治と控訴人との間には前認定のとおり叔父甥の親族関係があり、控訴人が、右順治からその法定代理人親権者池田サダコを介して昭和二六年一〇月頃、前示いわゆる湖水軒建物の贈与を受け、昭和二七年三月三日売買による所有権移転登記を経由するに至つたのは、控訴人等の亡父池田兼蔵がその生前、控訴人が不具者であることを慮り、控訴人等夫婦をして右湖水軒の建物によつて料理屋営業をなさしめることによつて自活の途を立てしめようとしていた先代兼蔵の意思尊重の趣旨でなされたものにほかならないこと、既に前述したところから明らかであるから、斯様な場合、右控訴人とその甥にあたる宅地所有者との間には、黙示の地上権設定契約(地代竝びに存続期間の定めのない)が締結されたものと解するのが、相当である。このことは、原審竝びに当審証人池田サダコ(被控訴人の妻泰子の母)の証言中、池田信興に対し、地代は要求しない旨回答している点(上来認定の諸般の事情に照らして考えれば、単なる使用貸借上の債権的権利ではなく、地代の定めのない地上権を設定したと認めるのが相当である)からみても、これを看取することができるところであつて、他に該認定を妨げるに足る資料は発見されない。そして被控訴人の所有権取得に先だち、控訴人において既に地上建物の所有権取得登記を経由していることは前認定のとおりであるから、控訴人は建物保護法によつて該建物の敷地部分に関しては、右地上権を被控訴人に対抗し得るものといわねばならない。従つて該敷地に関する限り、不法占拠を理由とする被控訴人の建物収去土地明渡及び損害金の請求は、いずれも失当として棄却を免れない。

次に、六、三〇二番の一地上存在、家屋番号上ノ原三五番、木造瓦葺平家建住家一棟、建坪一三坪五合一勺に関しては、該建物が被控訴人の所有であるに拘らず、控訴人においてこれを争い、被控訴人の所有権取得以前から昭和三〇年一月一〇日頃家屋明渡調停調書の執行力ある正本によつて強制執行を受けるに至るまでこれを占拠し、被控訴人に対し家賃相当額の損害を被らしめたことは、控訴人において明らかに争わないところで、原審鑑定人山中藤市の鑑定の結果により、昭和二八年四月以降昭和二九年一二月末日までの該損害額は金一万一、八〇七円であること、更に被控訴人が、昭和三〇年七月前掲宅地中控訴人所有の建物いわゆる湖水軒敷地部分一五五坪六合一勺(前掲鑑定人鑑定書附図A面積部分)と、その余の部分一四一坪七合九勺(総面積二九七坪四合から一五五坪六合一勺を控除したもの)との間に、板壁を設置して実力を以て右湖水軒建物敷地部分以外の占有を回復していることについては、本件当事者間に争いがないので、昭和二八年四月以降昭和三〇年六月に至る間の右一四一坪七合九勺分の賃料相当額は、同じく前示鑑定人山中藤市(第二回)の鑑定竝びに原審検証の各結果に徴し、金一万〇、三〇〇円であること、をそれぞれ認定することができるから、以上合計金二万二、一〇七円の限度で、被控訴人の損害金請求を認むべきであつて、その余の部分は失当として棄却すべきであるといわねばならない。

以上のとおりであつて、これと異る原判決は変更を免れないところであるから、民事訴訟法第三八五条第三八六条第九二条第九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岩永金次郎 裁判官 厚地政信 原田一隆)

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